今 日 の 独 言

<06.10.30 更新>

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2006年1月26日(木)
太一鋒占卜鑑定所の理想

この鑑定所での理想モデルは「鬼市(中国)」・「silent trade(英)」です。

鬼市というのは − 現代でもどこかの奥地で行われている可能性があるけれど − かつて異民族間での取引にしばしば用いられていた方式です。

売り手が商品を運んできて所定の場所、恐らく何百年もの間、先祖代々決められていたところにそれを並べ、一度姿を消します。
すると買い手の側が姿を現し、気に入った商品のわきに相当と思われる銀とか物品(物々交換の場合)を置いて立ち去ります。
翌日、またはどこか物陰で買い手が去るのを見届けた売り手が出てきて金額(代りの品)を検討し、納得がいけばそれを持ち帰り、売り手がいなくなった後で買い手が商品を自分のものとするわけです。

売り手は値が気に入らなければ再び姿を消し、相手が増額するのを待ちます。
より高い値段を付けても入手する価値があると買い手が考えているときはさらに上乗せしますが、これ以上出せないというのであれば、先に出した銀等を撤収します。
売り手は商談を継続する意志がある限り、商品をその場に残しておき、最早これまでと打ち切りを決定すると持ち帰ってしまいます。

このようにして互いの信頼関係だけにより成り立っていて、余計なトラブルの元となるコミュニケーションを回避する商取引が「鬼市(silent trade)」なのです。

私には、これこそ取引における一つの理想的な形だと思えるのです。
数百年、或いは千年以上黙々と続けられていた取引 − 「自分と違う人との相互理解と友好」という発想とは別な方向に発達し、洗練された、ヒトとしての本能に直接根ざした美しい形式!

なお、かつてのサバでの乳香取引などでは、売り手が希望額を書いた札を商品に添えておいたり、取引の場を兵士が警護している、と「鬼市」と呼ぶにはかなり手が加えられ複雑化していたようです。

(参考: 山田憲太郎・著、『香談 東と西』法政大学出版局)

2006年10月30日(月)
総括・前編

私はスポーツファンというわけではない。むしろその対極だろう。
ただ、サッカーは時々テレビで観戦する。
「スポーツ」と一括りにされるものの中で唯一音楽性が感じられるからだ。
今年はW杯開催年ということもあり、年頭からサッカーの日本代表チーム(いわゆる「ジーコジャパン」)を追っていた。
試合がある度に勝敗・ゲーム展開について易の卦を立て、予想をネット上某所に発表していたのだ。

その成績は惨憺たるものであった。
易の卦やその他卜占術一般は、理性的な対処では万策尽きた苦悩のただ中にいる人間が(あるいはそのような人間の切なる依頼に応えて)占うとき、はじめて正しい答えを告げてくれるものだから、当たってもはずれても生活に大した変化を及ぼさない勝負占の結果など気にすることもない … と、すまし顔を決め込んでいてもよいのだろうが、やはり占法家としては、筮を執ったからには的中させる義務があるのではないか。

今年初めの対アメリカ戦では「1対2で負 − チームが未だ100%の仕上がりでない」と断じた。
現実にはやはり敗れている。  ただ得点は「2−3」であった。
どうもあまり正確には見通せないな、というのが占者自身の感想だった … この時点ではまだ余裕があったのだ。

次のフィンランド戦は、まあまあ易がうまくいった方である。

これで気が弛んだわけではないが、その後、私の易占は完全に迷走状態に突入してしまうのだ。「五里霧」 − 全く視界が利かない悪天候のただ中に迷い込んだようであった。

2006年10月30日(月)
総括・後編

特にいけないのが本番であるドイツW杯のリーグ戦だった。

一次リーグ初戦・対オーストラリア − 専門的なことは略すが − は「日本代表の勝ち」と断じた。
ご承知のようにこの試合は逆転負けを喰らっている(1−3)。
出た卦は、客観的に眺めれば勝ちそうもない形で、特に贔屓でもないチーム同士の試合を腕試しに占っていたのなら「敗れる」としたはずだ。
この失占には伏線があって、半年くらい前、夢の中でこのゲームを占い、「日本の敗北」という結果に驚いて目を覚ましたのだ(このこともネット上にUPしていた)。
その不吉な予兆を振り払おうと、「勝利」とせざるを得ない心理に自らを追い込んでしまった部分があるかもしれない。

次のクロアチア戦では、確実とは言えないが、そう悪くはない卦を得たのでやはり「勝つ」とした。ここで負ければ決勝トーナメント進出はきわめて苦しくなってしまう。
実際は引き分けであった。
アジア予選レベルだったらこれで勝ち切れたのだろう。卦読みは、常に相手との力量差を前提として行う必要がある。

予選最後は世界王者ブラジルとの顔合わせである。

> 「戦いの成行き」 … ブラジル相手に「勝つか」なんて図々しいことはね … 
                  (「ネット上某所」に書き込んだ原文の引用)

初めは、勝敗を度外視し、どのようなゲーム展開になるかを易で読もうとしていたのである。
ところがこのときの卦が最高によかったのだ。いかにも機敏そうで、サッカーに適している。
そこで気が変わって、「これなら2−1くらいで勝てるのでは」と変な色気を出してしまった。
だがやはり負けた。サンドバッグ代わりにやられ放題だった。
それはそれで「順当」なのだが、意外にも先制したのは日本であった。
あのブラジルから玉田選手が先ず一点もぎ取ったのは殊勲と言えよう。卦は「勝ち負け」よりもこれを表していたのである。
当初予定していた目的以外に卦を利用してはいけない。

振り返ってみると、あまりにも希望的な判断に流れているではないか。
私の占は四年前の日韓共催W杯の時点から比べて明らかに退化している。
あのとき日本代表は一次リーグを勝ち抜き、決勝トーナメント初戦でトルコと当たった。
私は試合前日に占い、「日本敗戦」と冷静に断を下し、観戦さえしなかった。

盛り上がっている周囲の人々の輪から一人離れ、「勝てないのに … 」と心の中で苦笑していたのだ。

一般に、占者は対象との距離が見えなくなるほど近寄ってはいけないのだろう。
一種の冷たさを以って突き放していなければ … もう一面では対象に対して誠実な関心を持ち続けることが不可欠だとしても。
選挙・スポーツ等勝負事の占では、「Aが敗れる」としたら、たとえ自分がA氏の親類だろうとA国の国民だろうと、対戦相手のBを応援する覚悟が要される。
 … もっとも本当に「日本の敗北を願う」というより、この覚悟がつかない場合は占わなければよいまでだし、その方が楽しく観戦できるというものだ。

「マスコミに乗せられた」と言うつもりもないが、今年前半は、日本代表とそのサポーターに巻き込まれ、どんどん距離が取れなくなっていく過程ではあった。
この場を借り、石にでも刻みつけるような気で書き残し、以後の戒めとしたい。
敢えて「気持ちを切り替え」ず、どこで誤ったのかこのまま見据えながら新しい課題に取り組んで … 
あ!いかん … これではW杯直後に三試合を総括して中村俊輔選手が言ってたことそのままだ。

まだまだ対象との距離を回復できていないようである。

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2006年10月30日(月)
ここに不思議なることの候

我が家の敷地内には建物にふさわしくないほど大きく育った樹が一本ある。
(家とバランスの取れない庭木の家相上の吉凶はさて置くとして)毎年六月には、オレンジフラワーを思わせる香調の白い花をいっぱい咲かせるのだ。
元日本香料協会会員の私としてはその香気成分を鼻で分析し、ベンジルアセテート、クレゾールメチルエーテル、イソオイゲノール、インドール、ジャスミンラクトン … と数え上げるのだが、何よりも夜などに玄関を開けると、ここは南国か、と思えるほどの豊かな匂いにまず、むせかえってしまう。

早朝から絶え間なくこの樹に客が訪れる。マルハナバチなどの蜂、ハナアブ類 … 
深夜外に出て驚いたが、ここは都市部であるのに、十匹以上の蛾が羽を細かにふるわせながら花に群がっていて、街灯に白々と照らされ幻想的な光景を浮かび上がらせていた。

一面、この季節は毎日、落ちた花が積もり、そこら中を埋め尽くすので家族には評判がよくない。切り倒してしまえとも言われ続けている。
仕方ないから箒とちり取りを持って掃除しているが、掃いても掃いてもポツッ、ポツッと散ってきてキリがない … それに「毎日」が理想とは言え私自身よくサボるし。

掃除は苦手で大嫌いなのに、花の呼気の混じる空気を呼吸しながらやっていると、何だか誇らしい、通行人に自慢でもしたい気分がわき上がってくるのだ − どうです、華やかで、よい香りで、力強くって … これほど見事な花木はこの町内にはないでしょう!

物心ついた頃はすでに、家の正面両側に一対の樹が植わっていた。
その樹はみすぼらしいだけであった。カイガラムシが多量に発生していたせいで「すす病」にかかり、樹皮や葉が黒ずんで汚らしく、手も触れたくない感じであった。花が咲いたのは見たこともない。
「そこにある」ということが私にとって自明の現実だから、何という種なのか名を知ろうという気にもならなかった。こんなどこにも取り柄のない樹に興味を持ちようもないし。

カイガラムシはトビイロケアリ(蟻)が飼っていて、この樹を牧場としていたのだが(蟻は牧畜も農耕もする!)、ある年度から急に経営方針を変更したらしく、アリマキを飼うようになったため、すす病は一段落した。私の中学時代くらいだったと思う。

高三のとき家の建て替えで、建物に向かって右のものは伐ってしまった。
左の樹は大した取り柄もないまま相変わらずであった。

それから数年後の夏、話し好きな酒屋のご主人が配達に来た。

「この樹ご存じですか? … 本もんのお榊(サカキ)ですよ。この辺じゃ珍しいですね。神棚に上げたり、何かあって神主さん呼ぶときに神社さんとかにもらいに行くんで、たいてい、普通んちじゃ植わってても、別のヒサカキって種類なんすよね」

そうか、そうだったのか!「サカキ」だったのだ。あまりにも迂闊なことだ … 敷地内に植えた植物の名すら知らないままほっといたとは。
お寺には樒(シキミ)、神事には榊というくらいの漠然とした知識程度しかなかった。
実際、その酒屋さんがビルを建てるとき、地鎮祭用に、と我が家まで数本の枝をもらいに来られた。

次の初夏だった。
その榊は私が生まれて初めて、枝中に花を着け、馥郁とした香気をあたりに漂わせたのだ。
自分の名を知ってもらって喜んだようでもあり、今まで隠れて生きていたのが堂々と正体を明かしたかのようでもあった。

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2006年10月30日(月)
武州御嶽山のウスバシロチョウ

御嶽山頂にある武州御嶽神社は珍しいことに占いの神様を祀っている。
私も占法家であるから心の拠り所としている。

正月にはその年の諸々の作物の豊凶を太卜(ふとまに、鹿の肩胛骨を熱してできたヒビを観る) で占い、その結果を印刷して配布する。
湯島の天神様なんか学問成就が専門分野としても、移転・縁談など雑多な人事の予言は片手間でやっている感じがするのに対して、そういう場所のおみくじはいかにも的中しそうである。暦もできたらここで買いたい。
何よりも山の空気が澄んでいて、特に雪の残る季節に訪れると心身共に洗い清めたような気分になるのだ。
ケーブルカーの終点から石段を一歩一歩登り、彫刻家・西村西望の手になるライオン風の狛犬が視野に入ってくるだけでピリッと引き締まるようである。

そういうわけで想い出したように不定期にぶらりと参拝に出かける。

今年も四月頃、どれ行ってみるかと占った … というのは、年一回、晩春〜初夏だけに発生する蝶がここには多いので、ついでに写真でも撮ってこようかと考えたのだ。

自然に興味のない人間から看ると、そこらにいるモンシロチョウと区別つかないだろうが、そんな姿でも実はアゲハチョウ科である。

その中でもこのグループ − ウスバアゲハ族は、蝶の中でも原始的な特徴を残していて、氷河期の生き残りであると言われる。
御嶽のものが属するウスバアゲハ属 Parnassius は羽が白く透き通って清潔感があり、世界中で愛好家が多く、よく切手にされているのだ。
日本には三種生息するが、ここのはウスバシロチョウという種類である。
学名は Parnassius glcialis glacialis =「氷のパルナシウス」の意味だ。

ケシ科の毒草ムラサキケマンを食べて育つため、恐らく体内に毒成分をため込んでいるのだろう。それで鳥などの天敵から身を守っている。誤って食べると幻覚症状を起こすのかもしれない。

ところが占いでは「行くべきでない」と出たのだ。
まだ時期が早いのか、と一、二週間間を置いて再占してみると、結果は同様であった。
もうそろそろウスバシロチョウも引っ込む時期だが … と三たび観てみたが、やはり吉兆ではない。
やはり − 何事が起こるかは占いに逆らって現地に赴いてみないと判らないとしても − 今年は見送るべきなのは確かであろう。

御嶽あきらめたが、その代わりというように、暇を盗んであちこち蝶の写真を撮りに出かけた。
今年後半は何かと息が詰まるような毎日が続いたのでよいリクリエーションとなった。
大昔は網を持って蝶を追いかける昆虫少年だったのだが、その後そんなことをすっかり忘れていたのだ。

来年こそ御嶽山に行こう、そしてウスバシロチョウ Parnassius glacialis glacialis を探して … と考えて、はっと気がついた。
「パルナシウス」とは「ギリシャのパルナス山の」という意味ではないか。

ドイツの詩人ヘルダーリンの悲歌「パンと葡萄酒」に

「来たれ!イストモスへ。開けた海が騒ぐパルナス、岩々を覆う雪の輝くデルフォイへ」
「今や何処に、何処に輝くのか、はるか未来を射当てる神託は? … デルフォイは眠りについた」


と謳われている。
パルナス山の麓に、古代ギリシャでもっとも愛された神・アポローンを祀ったデルフォイ神殿があり、そこの巫女が神がかりとなって神託を告げたのである。
この神託は神話にも登場し、その厳粛な予言の的確さで信仰を集めていた。
また、この蝶の仲間は何故かアポローンと関係づけられることが多く、「アポローン神の」、「デルフォイの」という種名を持つものもある。

御嶽こそはパルナスではないのか。
麓に群れ舞うパルナシウスの蝶はアポローン神の巫女、「遣はしめ」である。
卜占を専門にする者としては、その声に耳を傾けるべきであろう。常人には聞こえない神の言葉を知ることができるかもしれない。

来年こそ、来年こそは御嶽へ行き、ウスバシロチョウと対話しよう、と決意を強くしたのであった。

2006年10月30日(月)
作品76 No.6

個人的な事情で「独言」をなかなか更新できなかったので、今まで書くつもりであったことをまとめてUPした。
それとともにトップページのBGMも、今までの「間に合わせ」の使い回しから、本来利用したかった曲に替えることにした。

J.ハイドンの弦楽四重奏曲、作品76No.6、変ホ長調から第二楽章「ファンタジア」である。
作品76「エルデーディ・セット」は六曲からなり、通常CD二枚に収録される。
ハイドンの創作の頂点と言える名作揃いで、No.2〜No.5までの四曲には、後の人々により「五度」・「皇帝」・「日の出」・「ラルゴ」というニックネームが付けられた。それほど親しまれているのである。

ハイドンの弦楽四重奏曲を聴き始めてからしばらくは(六曲一ぺんにかけると時間もかかるし集中力も続かないので)どれか一つくらい抜かして五曲だけ、というときに、このNo.6を省いたものだ。
正直これは難解な音楽であった。
それが … いつの頃からだろう … 年を取ったせいか、またハンガリーのタートライ四重奏団の、曲の心臓を鷲づかみにしたような名演に出会ったことも大きいが、どれか一つだけ聴こう、となるとNo.6を選ぶようになっていた。

Deutche Grammophon から出ているアマデウス四重奏団による作品76のライナーノートで、H.C.ロビンス・ランドンはNo.6についてこう書いている(岡田成文・訳):

「この曲には、ハイドンの作品によくある、例の妙に超然とした無垢な特質がうかがえる … モーツァルトの音楽にはこの種の無垢さはほとんどない。モーツァルトののどけさの下には苦悩が隠されており、たいていは深い苦悶に向かって進行していく。今までになく困惑した現代世界では、モーツァルトの音楽の底に流れるもの悲しさが、深く心の琴線に触れる。そして、この楽章をはじめハイドンの音楽が持つ本物の清浄さに直面するのは我々にとって困難なことでもある。水が清澄すぎるのだ。ハイドンは 1799 年ある声楽曲を作曲中に、“Wasser machet stumm ”(水はあなたを無言にする)という言葉を添えた。我々はモーツァルティアンのワインには慣れ親しんでいるが、ハイドンのわき水についてはその使用を拒否し勝ちである」

実に的確な表現である。ハイドンの性格について、この曲について … 現代社会と人間の本質について。

音楽というのは我々をとろりと酔わせるものだ、というのは一つの真理だが、もしその種の「気持ちよい酔い」という感覚が生まれつき欠けている人間が音楽を創ったらどうなると思われるだろう?
− その答えがハイドンの一生の作品である。

モーツァルトは、人生を − 恋愛や生きる苦悩、それにバクチのような人間くさい遊び事も含めて − 楽しんだ。本来の意味での歌と音楽そのものの存在であった。
その曲は身体に直接しみこみ、疲れをいやし、我々を夢心地に導いてくれる。
何かで読んだ話では、ネズミに現代音楽とモーツァルトの曲を聴かせた実験では、後者の場合明らかに感動していたそうだ。
農作物や園芸植物に向かって流せば収量が上がり、日本酒を仕込んだ蔵で鳴らせば極上の出来上がりとなるのだ、と言われても、私は疑いはしない。

ハイドンは、多分、深酒もバクチも好きではなかったろう。
語学が苦手なため、英国に渡るとき(自身が何語でもOKという)モーツァルトが心配したが、これは「人間同士のコミュニケーションが下手・その意志自体が希薄」という理由によるのだと推測できる。
「恋愛」というものにも疎く、知人女性への手紙で、芸術を理解しない自分の妻に対する不満を述べ、「あなたのような人と結婚していればよかった」と書いているが、その相手はすでに六十代であったという。

No.6のこの楽章は、聴く人間ごとに様々な印象を感じ取るとは思うが、私が思い浮かべるのは、山頂に立って星空を仰ぎ看る人間の姿だ … 

俗世間のざわめきから離れ、透明な空気を呼吸しているうちに精神も次第に静まり、わずかずつ変化する圧倒的な天象を視つめ続ける … 
夜が静かに回転する。
もはや寒さも感じない。個体を保つためのすべての生命感覚が消え、名指せない大きな真理と直接向かい合っているのを、知る。

私なら、このセットのNo.1には「宮廷道化師」、そしてこのNo.6には「神秘哲学者」というあだ名を奉りたいと思うのだが …


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